ときど記 後記 -4ページ目

雨の日の imagination

ここ数日の雨の中、クラムボン 『imagination』を聴いていると、一つのストーリーに気が付きました。


独特の語感が心地いい、歌詞の数々。



 一月の空から 降りしきる粉雪

 歩こう 僕のまちは 一晩で息を飲むほどに


 街路樹も自転車も 純白を着込んで

 きれい 僕のまちは この冬一番の冷え込み


― 「メロウトロン」



 雨が降って やんで 街に残る 湿った空気 だらしなさ わりと好き

 明け方の繁華街 店先はゴミ溜め 明日が袋づめ 山のように


― 「Y.S.G.R」



 異常気象8月 こんな街にも霧がやってきた

 濃い深い世界をやおらめちゃくちゃに走る


― 「タイムロス」



 おおっきなそら おおっきなそらに かぜが ふきこむ


― 「こだま」



 雨が ふった わたしの 家に

 雨が ふった あなたの 庭に


 海が笑いころげる

 海が笑いころげる

 かわいたあの街も

 水びたしだ


― 「5716」



 強い台風の 去ってった夜に

 高いビルの上から 街を眺めてた 

 風はまだすこし 移り気で 去り際のタイミングを つかみ損ねてる


 ...強い台風の 去ってった夜に

 高いビルの上から 街を眺めた

 僕はまだすこし 移り気で 去り際のタイミングを つかみ損ねてる


― 「Folklore」



雪、雨、大風が吹いて、そうして台風が過ぎ去った後のあの開放感が、

曲調と、曲を縦断した歌詞のストーリーに託されているのです。



1曲目「いってらっしゃい」に始まって、最後「おかえり」で終わるこの作品の中に、雨をめぐるもう一つのストーリーが隠されていることに気が付くと、この作品がいっそう愛しくなりました。


素敵です。

横浜ナイス。

ココロも満タンに、

してくれるのは、某々石油さんなんかじゃない。自転車に乗って切る風こそが、それです。



今日は一日、レンタルの自転車で、横浜を一周していました。

みなとみらい地区を出発し、海に沿って、中華街から、山下埠頭まで。


自転車は気持ちがいい。

自転車をこぎながら切っていく風は、他の乗り物では味わえない。


エコだし。

どこでも走れる、どこにでも停められる(本当はいけない?)。


自転車いいなあと、十年ぶりに乗った僕は、思うのでした。



一日500円でこの自転車をレンタルしてくれたのは NPOナイスヨコハマhttp://niceyokohama.web.infoseek.co.jp/ )。


横浜市内の放置自転車を点検・整備し、横浜のイメージ・カラー、ブルーに塗装した、通称「ハマチャリ」。

このハマチャリをリーズナブルに、一般市民に開放するという、すっばらしいプロジェクトです。



多くの自治体の頭を悩ませる、増加をやめない放置自転車を活用して、市民や観光客の足として役立てる。


自転車が増えることで、まちも自転車が走りやすいように整備されていく。

現に横浜市は、国土交通省の「サイクル・ツアー推進事業」モデル地区に認定されたそうです。


自転車の整備に携わるひと・工場にとっても、仕事が増えてうれしい。

ちょっとした視点で、みんなに優しいものの使い道が生まれるという好例です。



現在、「ハマチャリ」ステーションは6ヶ所。(個人的には横浜駅周辺にも設けてほしいな)


どのステーションで借りても、どこでも返却できるのは便利だけれど、

いっそう「乗り捨て」しやすくなるよう改善されれば、なお好いです。


うろ覚えながら、

ドイツはベルリンのレンタル自転車は、一台一台を電信柱にチェーンで括り付ける方式。

ベルリン市内のどの電信柱でも貸し出し・返却OKなので、利用も乗り捨てもひじょうにラク、だそうです。



もっと便利になれば、もっとナイス。

もっといいまちになる。もっと過ごしやすいまちになる。


今日のこの日をありがとう。


これからもお世話になります。そして期待してます。

ナイスヨコハマ。横浜ナイス!

アオダモの香り

先日 寄付をした NPOアオダモ育成支援の会 から、植樹の際に立てるプレートが届きました。


この木は、つぼさんが寄付をした3000円によって立てられましたよ、という証明になるわけです。


プレートに自分の名前と、ひとことコメントを買いて事務局に送り返すと、植樹の際に一緒に立てられるという寸法です。



ちょっと恥ずかしいけれど、


「野球と地球が大好きだ!」と書かせてもらいました。



本音です。

7月の寄付。

ときど記 後記、先月7月の訪問者数は、のべ349人でした。


なんだか、いつもより少なめですが、アメーハ・ブログの不具合が月初めにあったというのを言い訳にしておきましょう...

読んでくださった皆さん、いつもどうもありがとう。


コメントは3件、トラック・バックは2件ありました。


ということで今月の寄付額は、

(訪問者数 × 10円 + コメント&トラックバック × 100円 = )

3490 + 300 + 200 = 3990円


まあ、せっかくなので、きっかり4000円、ということにしましょう。



寄付先は、

NPO アオダモ資源育成の会http://www.aodamo.net )。


「かっとばし!」の記事 で紹介しました。


同会では、野球のバットの材料となるアオダモの植樹および調査研究費として、3000円を一口に寄付の募集をしています。

寄付をすると、自分の名前が記されたプレートが、植樹された苗木の前に立てられるというおまけ付き。


野球と地球の未来のための、3000円です。



もう1000円は、横浜そごうの前で開催されていた国連WFP協会(World Food Programme http://www.jawfp.org/ )の写真展示会での募金箱に寄付。

(野暮な話、ああいう募金箱に小銭でなくお札を入れるのが、僕の小さな夢の一つでした。やったあ)


毎日のご飯、水に不自由しないという幸せを噛み締めました。


かっとばし!

憧れの野球選手と、くちづけ。


半分本当です。

野球を愛する気持ちと自然を大切にしたいという思いが、一つの作品に結実しました。


かっとばし!


日本のプロ野球選手が実際に使用して、折れた木製バットを原料とし、生産された箸です。



バットの材料となるのが、アオダモという木。

バット材となるまで育つのに、70年以上、かかると言われています。

長い時間を要するのです。


いっぽう、そのアオダモを原料として生産されたバットは、練習や試合で折れてしまうと、全て焼却破棄しているそう。

年間数万本にも及ぶというそれらの折損バットを、どうにかして再利用したい。野球のためにも、自然のためにも。



そこで、アオダモの育成に力を入れているNPO「アオダモ資源育成の会 」と、箸メーカーの「兵左衛門 」が協力し、

運輸会社の「日本通運 」が大量の折損バットをメーカーまで送り届ける役を買って出て、

折損バットを再活用した「かっとばし!」の誕生に至ったというわけです。



木製のバットを握ったことがあるひとなら誰もがわかるように、

アオダモの木材はひじょうに丈夫ながら、手にしっくりとなじむ感触。


それを、バットとして用を成さなくなったるとすぐに廃棄してしまうのは、もったいない。

バット一本を作るのにも、そうとうな手間がかかっています。


そうした折損バットの箸としての再利用は、すばらしい着眼点です。


アオダモの箸なんて、すごく贅沢です。

それも、プロ野球選手が実際に使用したものとなると、ファン心をくすぐられます。



僕は福岡ソフトバンク・ホークスの大ファンゆえ、城島が使用した(!)というバットからつくられた「かっとばし!」を一膳購入。1300円。


ホークスのロゴ・マークは、もっとさりげなくてもよかったかもしれませんが。汗。



まだまだ、折損バットの回収や輸送、生産コスト、箸そのもののデザインなど、

改善すべき点は山積でしょうが、細く長く続けていってほしい商品展開です。



詳しくは、


 NPOアオダモ資源育成の会 http://www.aodamo.net/


 兵左衛門 http://www.hyozaemon.co.jp/aodamo.html

ヒラヤマ・モア

オランダのサッカー一部リーグ、ヘラクレスに移籍した平山 相太が、デンハーグ戦に後半30分から出場、エール・ディビジに初登場して、いきなりの2ゴール!


お前すげえ! 映像を観ていない分、凄い想像ばかりが膨らみます。


チームも、平山の2ゴールで逆転勝ちだそうです。お前すげえ!


早くゴールの映像が観たいなあ。彼の高さを活かしたヘディングだったのでしょうか。


急な移籍だったけれど、オランダ語はもう身に付いたのかな。平山がチームのみんなと話している様子なんかも、観てみたい。


テレビよ、もっと平山を!

カルナヴァル

すごいことに気が付きました。


僕は、自分が the Boom のファンだとずっと思っていたけれど、実は僕はブームなんて全然好きではなかったのです。



僕は、宮沢 和史の落ち着いた態度や、エロい声や声の出し方が好きで、彼の人脈の拡げ方が好きで、


「中央線」が、「からたち野道」が、「風になりたい」が、

『Tropicalism -0°』が、「砂の岬」が、「墓標」が、

「18時」が、「朱鷺」が、「沖縄に降る雪」が、好きで、


『LOVIBE』のアートワークが好きで、


たまのカラオケでは必ず「島唄」を歌って、


でも、ブームというバンドが好きなわけではなかったことに、気が付いたのでした。



バンドを好きではない、というのは、端的に言えば、

いまの活動や、これからの作品発表に特別な期待をしていない。


あるいは、ライブに行こうと思わない。思えない。


僕にとってのブームは、『Tropicalism -0°』で終わっていました。



好きな曲がある、多い、というのと、その曲を演奏しているミュージシャンを好き、というのは

違う次元のはなし。


そんなことをふっと思いました。


でも、



 天国じゃなくても 楽園じゃなくても


 あなたに会えた幸せ 感じて 風になりたい


 

―「風になりたい」



あなたに会えた幸せ。ブームに出会えて、本当によかった。

8月15日

昨日14日のテレビ討論の中で、田原 総一郎氏は、戦後を、


日本がアメリカにレイプされてきた


と表現しました。



番組は、アメリカによる日本統治と現在に至るまでの影響についての是非を問う、という内容でした。


僕は冒頭しか観られなかったので、討論がどう展開したかはわかりませんが、

確かに、田原氏の、やけに端的で過激な表現の是非を別にしても、日本が受けてきたアメリカの影響をどこまで肯定するのかは、考えなければならない問題です。


アメリカを中心とした国々による「レイプ」抜きには為しえなかった、憲法(英文和訳)、政治、外交、経済の大発展、文化的な豊かさ、その他あらゆる恩恵は、

それらが押し付けられたものであるにせよ、ある程度認めなければならないでしょう。


それらの押し付けが無ければ、日本は現在のように平和な(でしょう?)国を築くことはできなかったかもしれないし、

この60年の中で、どこかの戦争や紛争に参戦することになっていたのかもしれない。



それは、全て、仮定のはなし。

歴史に「もし」は無い。


でも、その「もしも」を、考えずにはいられない日々です。

特に今日、8月15日は、60年前に第二次世界大戦が終戦した日。これ以上無い区切りの日です。


1年のうちの、この8月くらいは、こうして歴史を穿り返すのに費やしてもいいと思っています。

仮定も理想も硬い議論もひっくるめて。


いわゆる、歴史の再検証。

てか、現在だって歴史の一部。その歴史の一部の一部である僕の生活を、僕はどう過ごしていくのか。生きていく以上、もっと真剣に考えなければ、いけないんだろうなあ。



それにしても、

どうして鳩なんかが平和の象徴なんだろう。


糞が、直撃しました。


GAZA PULLOUT MONDAY

A historical event... とか何とか、CNNのキャスターが伝えていました。歴史的な事件。

GAZA PULLOUT。

パレスチナ自治区、ガザからのイスラエルの撤退が、この月曜日、本格的に始まりそうです。


あらゆる和解の付き物である「妥協」が、中東の大きな火種の一つ、イスラエルとパレスチナの間でも漸く、生まれようとしています。


妥協。


イスラエルにとっては


領地を失うこと、

そこに住む一般の人々にとっては、長年の家を失うということ(それが、どれほど大きな苦痛であることか)、


政府として、撤退反対派を押し切ってでも、国際社会に自分たちの行動をアピールすること、


そして、自分たちに対する自爆テロ(このことばは、本当に嫌い)を繰り返してきた国の人々を、ある程度許すこと。


パレスチナにとっては


遠くない過去に、アメリカやイギリスを後ろ盾に自分たちの領土を奪い取ったユダヤ人との共存を認めること、


そして、無防備に近い状態でガザ地区から引き上げるそのユダヤ人たちを攻撃しないこと(過激派のハマス幹部が、さも自慢げに攻撃しないことを語っていました)。



妥協。


今回のこの妥協自体が妥協の産物でもあります。


パレスチナ自治政府のアッバス議長は、ハマスの過激な(しばしば、軍事的な)活動を抑えきれていないといいます。

(やっぱり、アラファト氏の統率力はそうとうだった。)


かたやシャロン首相率いるイスラエル政府は、ガザと引き換えに、ヨルダン川西岸の支配を強めるとも目されている。


ロード・マップ ― 和平案が達成されるのは、イスラエルとパレスチナが、お互いに国として、また国民同士がひととして、認め合う日が来るのは、まだまだずっと先のようです。


でも、千里の道も一歩から。

ユダヤ人入植者と軍のガザ撤退は、和平への大きな一歩になると信じています。


ぐちぐちアドバイス

 た・の・む・か・ら、


 主語と目的語を省略し過ぎて文章が意味不明になっていることに気が付いてくれ


とか、


 た・の・む・か・ら、


 くさいことばや表現を並べれば詩になるなんて思わないでくれ


とか、


 た・の・む・か・ら、


 改行しろよ


などなど、


友人の書く文章に対して、その程度のアドバイスさえ面と向かって言えない僕。小心者め。

しかしこうしたアドバイスを、誤解なく相手に伝えるのは至難の業。



ことばや、ことばを使った表現はとてもデリケートです。


或るひとにとっての「どこかおかしい」が、別のひとにとってはなんでもなかったり、


しかもその「どこかおかしい」は、たいていの場合ことばで表現するのがとても難しい。


遊び心が無いから、硬い文章になっている

とか、

文章に勢いが無い、

とか、そういう批評は伝わりにくいし、そもそも、読み手によって同じ文章でも感じ方が正反対だったりもする。



でも、もちろん、ことばはルールだから、主語・述語・補語・目的語の組み合わせを基本にして、読み手が最低限意味を取り違えずに理解できる程度の文章にしなければ、いけません。


これは、マナー。もちろん、遊びでわざとわかりにくくする、という書き方もあるけれど、それは基本を身に付けた後のはなし。


読み手を考えて書く。なんて、言うのは容易いけれど...