ときど記 後記 -11ページ目
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NIKE CONSIDERED

NIKE CONSIDERED がいよいよ発売されるそうです。
履き古したスニーカーをパーツに分解、リサイクルして、新しい、自然にやさしいスニーカーをつくるというプロジェクト。雑誌「ソトコト」最新号で紹介されています。
既に、スニーカーを店頭で回収してリサイクルし、バスケット・コートを造るといった取り組みは始まっているそうで、やるじゃんナイキ、ですが。

一方で、たとえば台湾やベトナムでべらぼうに安い賃金で現地の人を雇い、ナイキ製品を生産しているという事実はなかなか、知られていません。
また、近年の明らかな過剰生産、みやみやたらな過去の作品の復刻などの企画過多は、在庫増を始め、間違いなく環境に悪影響を与えています。自然環境に限らず、店頭・売り手の環境、買い手の環境にとっても、いいとは言えません。
たくさんつくればたくさんうれる時代は、少なくとも日本では過去の話。ナイキは、時代に合わない供給過多をグローバルにやってのける企業でもあります。
もちろんナイキに限った話ではありませんが...

リサイクルプロジェクトがとてもいい発想に基づいていると思うからこそ、その前に取り組むべき課題にも目を向けてほしいのです
売れ残ったNIKE CONSIDEREDをまた回収してリサイクル、なんて、エネルギーの浪費でしかないわけで。

僕はナイキが好きです。だからこそ、見せかけの環境対策に終わらないプロジェクトにしていってほしいと思います。

僕がボサノヴァに求めるもの

ボサノヴァは、こじゃれたカフェのための音楽であってほしくない。リラックスできる、とか、おしゃれ、とか、うんざりする。
ストイックな音楽だからこそ美しいのに。確かに、明るい、小気味いいリズムのボサノヴァが似合う空間は在るけれど、躍動しまくるパーカッションは、むしろ気持ち悪い。

美しいボサノヴァ、それはたとえばジョアン・ジルベルトの、いわゆる『3月の水』。ギター一本の呟くような弾き語りに、ときどき控えめなパーカッションが重なる、こんなに静かな音楽が、なぜ人にじっと耳を傾けさせて逃がさないほど、パワフルなのか。
どんな聴き方をしても、これは「おしゃれな」音楽ではありません。ボサノヴァの神髄、だと思うのです。

プロフェッショナル  COMME des GARCONS

ちょっと好き、でもなければ、自己満足な取り組みに終わっているわけでもない。プロフェッショナルな、服作り。
COMME des GARCONS は、洋服デザイナー、宣伝広報、経営、販売のプロフェッショナルの集団。
星が配されたロゴを見るだけで、このブランドを少しでも知るひとは興奮を覚えるはずです。

最近、ときどき、身分不相応ながらギャルソンのお店に足を運びますが、販売員の方の接客の姿勢にはいつも感心してしまいます。

どの店でも、販売員の方は皆、ギャルソンの服を熟知していて、素材、製法、過去のコレクションとの比較、着こなし方など、万全の説明をしてくれます。
僕のように、見るからに「一見さん」のひとにも、そのひとに合った着こなし方を提案してみせる。たとえば僕に対しては、ジーンズと相性がいいと言って、ジャケットやシャツを薦めてくれます。
彼らがギャルソンの服を見事に着こなしているのは、もちろんのこと。

COMME des GARCONS の毎シーズンのコンセプトの提案と、そのアピールは、一貫してクールです。そして変化を止めない。
「その手があったか!」いつも唸らされる。
印象に残っているのはパリの路面店。雑誌で見た限りですが、衝撃は大きかった。赤い壁、赤い扉、赤い、回転する立方体の椅子、白い床、白い天井、赤い天井。「NEW SHOP OPEN NOW」― フライヤーも、赤。すげえ、って一言しか出なかった。赤い空間に映えるギャルソンの明るい色彩の服。

Comme des garcons。少年のように、というフランス語。フライヤーのデザイン、各店の建築、ディスプレイに至るまで、常に奇抜で、独創的で、一目で見る人の心を奪い、見るほどに発見がある。
世界各地のアーティストやイタリアやパリのセレクト・ショップとのコラボレーションなど、常に期待を裏切り続ける。パリコレに乗り込んでからもう20年以上。今や世界のファッション界を牽引し、刺激し続ける存在です。

...服については、僕はTシャツしか着たことがないから、何とも言えないけれど、長年愛用しているひとも着たことがないひとも魅了する、むしろ圧倒する服つくりが、ギャルソン。
今日、お店を訪れた際には、コットン製のジャケットについて店員さんから説明を聞きました。もともと黒のコットン・ジャケットに強く洗いをかけ、その上からピンクの染料を施した。全体的には濃い紺色で、地色の黒が摩れた箇所にはピンク色が覗く、いい風合いのジャケット。48000円。

高いですねえ...

美しいお皿洗い

集中すれば何事も昇華する。お皿洗いは、アートになる。

真に上手なひとの皿洗いは、素早く、乾燥後の片付けもしやすいよう美しく収まり、もちろん洗い終わったお皿やお椀、すべてが輝きを放つ。
皿を洗うその人の背筋がぴっと伸びていると、スポーツ選手の躍動とは異なる、静の美しさを醸し、洗浄とすすぎを繰り返す手の優美な動きは、手にとる一枚一枚の皿への愛情と信念を、見る人に伝える。

僕も美しい皿洗いをしたい。そのためにはまだまだ修行が必要だけれど。

Exit

 愛して 欲しい なんて 泣いてしまうより
 愛するって 行為に 泣けてきたりしないの


全身で愛を伝える。ことば。抱擁。キス。
相手の体調を心配すること。相手の予定を乱さないこと。相手の心を乱すこと。
喜びにあふれたセックスをすること。
二人ぼっちで悲しい時間を過ごすこと。
連絡の無いときにこそ相手を想うこと。

相手に面と向かっているときのことば、行動、姿勢は、表徴でしかありません。
愛情をどうにかこうにかして伝え合い、幾らかが互いに伝わるのが恋人たちの理想だとして、では愛を表現していないときに愛が通わないかといえば、それは違う。
理由も無く相手が会いたくないときに、相手をどれだけ信じ、愛していられるか。

「会いたくない愛情」を理解できること、つまり相手への自分の想いと相手の自分への想いの両方を信じられること。
自分勝手に振舞うことと自分勝手されることを理解できること。恋愛に生活を喰われてしまわないこと。


 解って 欲しい なんて 望んでしまうより
 解って もらえるよう 努力はしてみたの

  ―「EXIT」Jenka

みなとみらい という島

横浜はみなとみらい21地区、ここの活気は途絶えることが無い。
日本有数のショッピング・モール、遊園地、映画館、歴史ある赤レンガ倉庫があり、海が広く、開けている。
人のあまりの多さと、客数の割に飲食店が少ないことにさえ目をつむれば、誰もが楽しめる場所と言えるのではないでしょうか。

みなとみらい地区は、しかし、いわば横浜市内の「孤島」だ。
「裏みなとみらい」とも呼ぶべき、横浜駅と桜木町駅の中間には、開発が中途半端に放り出された草っ原が広がり、遠くに見えるランドマーク・タワーやクイーンズモールのにぎわいをどこか虚ろに感じさせる。
みなとみらいから、桜木町駅を越えると野毛に出る。みなとみらい地区に客足を奪われた商店街があり、競馬場があり、暗い顔つきの中年の男性が大勢、煙草を口に、赤いマーカーと競馬新聞を手にしながら歩いている。道路も建物も不思議なほど、くすんでいる。
野毛からしばらく歩けば、寿町のドヤ街がある。ドヤ = 簡易宿泊施設、「宿(やど)」を逆さに読んだことば。日雇い労働者や失業者、何らかの理由で「社会」から締め出されてしまったひとたちが暮らす場所。あの中華街から歩いても4、5分の距離だ。

楽しいことはもちろん大切。でも、華やかな面ばかりを好むのは幼稚だ。
みなとみらいに日産の本社が移り、JICA(国際協力機構)の新しいオフィスが構えられ、でも、「みなとみらい島」の周辺にはきっと何も影響を与えない。
足を延ばせば全く違う世界が在るということを、もっと知らなければいけない。

はじめに

ぼくの、いわば普段着であるブログ「ときど記」(http://blog.livedoor.jp/hiro_tsubo)を始めてから、10ヶ月ほどが経ちました。
その名の通りときどきの更新ではありましたが、いつの間にか記事の数もけっこうなものになり、自然、雰囲気も生まれてきました。

そろそろ、新しい創作も始めたい。
ホワイトアルバムを経てビートルズが個々の音楽活動に入っていったように...というと大げさだけれど。
「ときど記」とは違った視点を、読む人に提供できれば、との思いを胸に、「ときど記 後記」を始めます。

編集後記にこそおもしろさがあり、本音が出ていること、あると思います。
そんな意味あいをタイトルに込めています。
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