8月15日
昨日14日のテレビ討論の中で、田原 総一郎氏は、戦後を、
日本がアメリカにレイプされてきた
と表現しました。
番組は、アメリカによる日本統治と現在に至るまでの影響についての是非を問う、という内容でした。
僕は冒頭しか観られなかったので、討論がどう展開したかはわかりませんが、
確かに、田原氏の、やけに端的で過激な表現の是非を別にしても、日本が受けてきたアメリカの影響をどこまで肯定するのかは、考えなければならない問題です。
アメリカを中心とした国々による「レイプ」抜きには為しえなかった、憲法(英文和訳)、政治、外交、経済の大発展、文化的な豊かさ、その他あらゆる恩恵は、
それらが押し付けられたものであるにせよ、ある程度認めなければならないでしょう。
それらの押し付けが無ければ、日本は現在のように平和な(でしょう?)国を築くことはできなかったかもしれないし、
この60年の中で、どこかの戦争や紛争に参戦することになっていたのかもしれない。
それは、全て、仮定のはなし。
歴史に「もし」は無い。
でも、その「もしも」を、考えずにはいられない日々です。
特に今日、8月15日は、60年前に第二次世界大戦が終戦した日。これ以上無い区切りの日です。
1年のうちの、この8月くらいは、こうして歴史を穿り返すのに費やしてもいいと思っています。
仮定も理想も硬い議論もひっくるめて。
いわゆる、歴史の再検証。
てか、現在だって歴史の一部。その歴史の一部の一部である僕の生活を、僕はどう過ごしていくのか。生きていく以上、もっと真剣に考えなければ、いけないんだろうなあ。
それにしても、
どうして鳩なんかが平和の象徴なんだろう。
糞が、直撃しました。