ときど記 後記 -10ページ目

うどん屋のかつどん

「美味しいかつ丼を食べるならうどん屋へ」

「美味しいうどんを食べるなら小料理屋のまかないを狙え」

僕のモットー。どちらも個人的な経験に基づいたものです。

前者のわかりやすい例が「ごんべえ」。これは早大生にしか通じませんが...
つまり、この店のうどんは、さほど美味しくないけれど、かつ丼が抜群に美味しい。さくさくしたかつと、とろっととろける卵と、濃厚なだし汁。
僕は、健康さえ許すなら、一生このかつ丼を食べ続けたいとさえ思います。

後者の根拠は、僕のアルバイト先の経験。
季節の魚介料理をお出しする、やや高級な割烹で、お皿洗いをさせていただいているのですが、毎回いただくまかない料理が絶品! アマダイのお頭が、僕の一番のお気に入りです。こんな高級魚のお頭なんて、お金を払っても、なかなか食べられません。ちょっと自慢。

そのまかない、最近は寒いので、温かいうどんを出していただきます。これのおいしいこと!
魚貝類とたっぷりの野菜。そして、だしがとびきり美味しい。まいうーどころではありません。汁も残さず飲みます。
僕は、時間と体力さえ許すなら、一生いまのバイトを続けたいとさえ思います。もちろん、もちろん、まかないのためだけではありませんが...

たばこ

養老 孟さんがエッセイの中で、禁煙キャンペーンの先駆けは、ヒトラー率いるナチスによるものだったということを書いていました。(『Brutus』最新号)
ナチスがその後展開し、ユダヤ人虐殺へとつながる優性論(優れた人間とそうでない人間があり、病人、障害を持つ人、違う人種の人など「劣った」人間は抹殺すべきという考え方)の皮切りが、喫煙者の囲い込みだったのだそうです。

現代の日本も、健康増進法(変なネーミングですよね)が施行され、各自治体で路上喫煙が禁止され、喫煙所がどんどん減らされて、愛煙家には厳しい状況になっています。
たばこの屋外広告が前面的に禁止し、パッケージの面の半分ほどに健康への害を訴えるコピーを義務付ける法律も、そろそろできそう。
そう、ブラジルかどこかみたいに、おっかないパッケージのたばこがまちに溢れることになるのでしょう。

そうした動きが、過激な優性論的な運動に結びつくかどうかは別にしても、昨今の喫煙者への攻撃、ちょっときつ過ぎるかなあと考えてしまいます。

僕自身は、路上喫煙者やたばこの吸い殻をポイ捨てするような人なんて死んじゃえと思ってしまう嫌煙家ですから、正直言って、たばこ規制の強化は嬉しい。
でも、至るところに自販機やたばこを購入できるお店があって、それがずっと続いてきているのだから、たばこを必要とする人が少なからずいるということだし、今後もなくならないということだと思う。

たばこは煙を伴い、喫煙者以外にも影響を及ぼす、だからたばこを吸わないひとを守らなきゃという発想は理解できます。でも喫煙者保護を謳う人はほとんどいません。養老 孟さんも同様のことをエッセイに書いていました。

たばこを吸う人と吸わない人の共存が大切、と言うのは簡単だけれど、理想的な共存のかたちが僕にはまだ見えてきません。

食後に一服したい人もいれば、食後くらいたばこは勘弁してくれという人もいるでしょう。
大自然の中でおいしい空気をいっぱいに吸い込みたい人の隣で、ああここでヤニ吸ったら気持ちいいだろうなあと思う人もいるかもしれません。

僕はたばこが大嫌いですが、喫煙者が嫌いなわけではない。愛煙家の意見をもっと聞きたいと今は思っています。


余談。
僕はうめぼしも嫌いだけれど、うめぼし生産規制をしてほしいとは思いません。

Imagine 2005

何がニュースの価値を決めるんだろう、って考えてしまいます。

テレビには時間枠があり、日本の新聞各紙は紙面の大きさが決まっていてそれに合わせて記事が書かれるのだから、必然的に取り上げるニュースには限界があるわけです。当たり前です。
際限なく報道していたらそもそもニュースではなくなってしまうし、時間・分量を無制限にしてもそれでもきっと伝えきれないほど、世の中には色々な出来事が溢れています。

だから、報道する・しない、するとしたらその順番、時間・紙面の割き方など、ニュースの一つ一つが何らかの価値付けをされているわけです。
何をどう報道するのか、は、メディアが抱える永遠の難点。


Imagine.
岐阜県中津川市の事件の惨さ、不可解さは筆舌に尽くしがたい。
いっぽうで、20年以上続いてきたスーダンの内戦が、いちおうの和平合意をもって終結したことや、イスラエルとパレスチナが停戦合意に達し、その数日後にパレスチナのひとによる自爆テロが起こったことは、重要じゃないのかしら。だってニュースでほとんど目にしないから。
シエラレオネで続いているという内戦。混乱の只中にあるイラク。今はどうなっているのだろう、アフガニスタン。


Imagine.
宮里 藍の活躍はすごいと思う。世界大会で優勝、そして2位。とても、立派な成績です。どのメディアもこぞって藍ちゃん藍ちゃん。実力も、そこそこ胸もあって、若くてかわいいゴルファーの登場はもちろん素敵なこと。
そのおかげかどうか、スペシャル・オリンピックスhttp://www.2005sowwg.com/jp/)の様子を伝えるメディアはほとんどありません。スペシャル・オリンピックスに関する中で一番大きく取り上げられたのは、皇太子妃雅子様が体調不良で開会式に出られなかった、というニュースなんじゃないかと思います。もちろん、雅子様の具合は心配だけれど。雅子様にとっては遠すぎた長野の地で頑張っている人たちの、報道もしてほしい。
スペシャル・オリンピックス。知的発達障害を持つひとたちによるスポーツの祭典。約3000人の選手が、世界86ヶ国から集まってきています。
大きな特徴の一つが、表彰式が、競技に参加した全員のために行われるということ。順位はいちおう付けられるけれど、全力で競技に打ち込んだ全員が表彰されるのです。
メダルや順位を競う、いわゆるスポーツとは全く異なる概念。競うけれど競わない。そうした勝ち負けも優勝も無い中で、全力を出し切ってスポーツに挑む参加者の勇姿に、どうして感動せずにいられるでしょうか。
なぜにテレビはこのスポーツの祭典を無視し続けていられるのでしょうか。


Imagine.
バラエティや芸能や国内の問題にばかり目を向けるメディアに、世界各地で進行中だという、数え切れないほどの厳しい情勢との温度差を感じる。
馬鹿ばっかりやってるのが似合うような世の中なら、何も問題は無いのに、きっと今がそういう世の中ではないことが悲しい。


Imagine all the people living life in peace.
一生懸命な人々、素敵な出来事、幸せな事件。そんなニュースばかりに溢れたいつの日かを、imagine。


 ―『Imagine』 John Lennon

the end 素通りした ストーリー

スーパーカー、今日のライブをもって正式に解散です。
バンドの the end を素通りして、彼らは、今度はどこでストーリーを紡いでいくのでしょうか。―『LAST SCENE』

スーパーカーはたくさんの心に残る曲を残してくれました。
雨の中でつとつとと歌うPVが印象的だった『My Girl』。僕の永遠のテーマ・ソングです。
映画『ピンポン』にばっちりはまった『Yumegiwa Last Boy』。今の、スーパーカーに対する僕の気持ちにぴったりな『Love Forever』...

はあ。でも、今までお疲れさまでした。

Stand up, Speak up

以前、だめじゃんナイキ 、ということを書きましたが、ここでは、やるじゃんナイキ。
偶然、「Stand up, Speak up」(http://www.standupspeakup.com/ )というサイトを見つけました。

立ち上がれ、声を上げろ。

ヨーロッパのサッカーリーグで活躍する選手を中心に起用した、人種差別、肌の色の違いへの蔑視をなくそうぜという、欧州ナイキ・フットボールのキャンペーン。
白黒2本のリストバンドを身に付け、肌の色による差別無く、共生することをアピールするというものです。

スペイン、イタリア、イギリスといった世界屈指のサッカーリーグでは、大勢の黒人選手が活躍している一方で、彼らに対する差別を繰り返す人種主義者のサポーターも多いそうです。クラブ・チームあるいは国の代表チームで黒人選手が活躍することを好ましく思わないひとたちがいて、中には悪質な事件を起こすひともいるいうことです。

アンリ、サア、昨年のFIFA年間最優秀選手・ロナウジーニョ、ロナウド、ロベルト・カルロス、エトオら、数えればきりが無いほど大勢の黒人選手が、欧州の各チームで主力として活躍しています。無意味な差別が無くなり、このキャンペーンが一過性のもので終わらないことを祈ります。

ただ残念なのは、英語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語...等々のページが用意されているにも関わらず、日本語版のサイトが無いこと。

1億3000万人の人口に対し、年間の難民受け入れ者数がたった10人という日本。あるいは「外国人」や「外国人留学生」が起こした事件に対する異常とも思える報道にも見られるように、他者への寛容という点で、日本に住む我々の問題点は多いはずです。
だからこそ、欧州でのみ展開のキャンペーンとはいえ、同サイトの日本語版サイトの制作や、アジア地区での展開にも大きな意味があると思います。人種問題は、黒人差別に止まりません。

先日、ナイキ・ジャパンへその旨の要望メールを提出しました。何か、反応があるといいなあ。

骨髄バンク と 落語

思いがけない出会いというのはあるもので、以前、落語を聴きに行った噺家さんに、再会しました。場所は、骨髄バンクのホームページ。
http://www.donorsnet.jp/weneed/teikyo/21/

骨髄とは、白血球、赤血球、血小板など血液の成分を生成する骨中の組織。ここが悪いと、たとえば、血液に血小板が含まれないために傷口がふさがらない、とか、臓器の障害といった深刻な症状が起こります。
血液は、人間のからだ全身を流れていて、生きていく上で不可欠なものであるにも関わらず、血液に関する器官は薬や治療による回復が現在はまだ不可能とされています。そこで、他の人から血液や骨髄の提供を受ける必要があり、それゆえ、献血、輸血や、正常に機能する骨髄を募集する「骨髄バンク」が必要になってきます。
白血病で亡くなった夏目雅子さんを起用した骨髄バンクのテレビCMをご覧になった方も多いはず。

その骨髄バンクのホームページ上で、骨髄提供者の体験談を読んでいたところ、三升家 勝菜さんという、見覚えのある名前を見つけたのでした。
以前、谷中のカフェで行われた落語で、彼が以前勤めていた葬儀社のネタを披露していたのが印象に残っていますが、その勤務で多くのひとの死に接する中で「いのちの尊厳を考えた」ことが、骨髄バンクへのドナー(提供者)登録につながったのだそうです。

実際に入院して骨髄提供したのに止まらず、現在は骨髄バンク支援のためのチャリティ落語を開催しているそうです。
今度また、落語を聴きに行こう。

“KYOTO”

8年のときを経て京都議定書が発行された昨日、2月16日、NHKの「クローズアップ現代」で、昨年ノーベル平和賞を受賞したマータイさんのインタビューが放映されました。

彼女がノーベル平和賞を受賞したのは、彼女の祖国ケニアでの植林運動が評価されてのことでした。
主に貧しい家庭の女性を雇い、報奨を支払う形で森林伐採の進んだケニアの植林を進め、植林による環境問題への取り組み、貧困層の雇用拡大、女性の社会進出を一挙に解決へ導こうとし、その努力を20年以上に渡って続けてきたことが評価されました。
また、環境問題での活動が平和賞を受賞したのは初めてだそうです。

政治圧力を受け、投獄も暴力も経験してきた中で、長年努力を続けてきた彼女のことばは、一言一言が力強かった。
インタビューで、日本の「もったいない」を素晴らしい文化だと話していたのが印象に残っています。先進国・日本への寛容を見せる彼女の心は、どれほどおおらかなのでしょう。

ケニアという、いわゆる発展途上国において環境問題への意識が高まり、具体的な活動も生まれている事実は、京都議定書に発展途上国の多くが含まれていないことを危惧する人々への、一つの答えになるのではないでしょうか。
つまり、行動で示すことの大切さです。

究極的に重要なのは、京都議定書の基準を守っていった末に、持続可能な地球環境、そして人間の生活を維持することです。マータイさんの活動を、指をくわえて眺めているだけじゃいけない。

京都議定書を批准しながら二酸化炭素放出量を着実に増やしてきた日本、先進国諸国、何かと理由をつけて「KYOTO」を拒むアメリカで暮らす人々の具体的で実効的な取り組みが必要とされていることを感じずにはいられませんでした。

さて、日本に求められているのは、二酸化炭素を始めとする温室効果ガスの排出量を、今後7年間で14%も削減すること。
非現実的な数値だと言われていますが...

「介護入門」

母が介護の勉強を始めました。

勉強といっても、講演会に行ったり、テレビや新聞で高齢者介護の話題をしっかりチェックしたりという具合ですが、福祉や介護といったことばを明らかに避けていた頃の母を思えば、いま、彼女がとても努力していることがわかります。

祖母は数年前、ひざを痛め、心臓を患って以来、具合がよくない。繁華街や、美術館や、各地への旅行が大好きだった祖母も、買い物程度の外出すらときどきしか行けないようになってしまった。
ぶきっちょな祖父と二人、福岡で、僕たち家族とは離れて暮らしています。

母はさすがに、今後のことを考えたらしい。
どういう心積もりなのか、訊いてもなかなか答えてくれないけれど、自分にできること・できないこと、行政のサービスの程度を調べながら、必死に彼女なりに考えています。

母がなぜ、ずっと福祉や高齢者介護の問題を避けてきたのか、その心境はわからないでもない。僕の祖父母4人は、みんな元気で、いつでもよく笑って、話すのと食べるのと人をもてなすのが大好きで、病気や介助とはいっさい無縁の人たち、
だった。
父方の祖父母は、今もぴんぴんしています(毎日何キロか歩いているとか)。母の母が具合が悪くて、祖父も祖母の元気のないのを引き受けたみたいに、心身ともに、なんだか縮んだ。
母は、そんな現状を受け入れづらいのだと思う。

3年ほど前、僕が、障害者福祉のサークルに入ったことを報告すると、母は障害を持った人たちを「こわい」と感じてしまう、と話した。
ボランティアの合宿先の写真で、僕が車椅子のひとと一緒に写っているのを見せても、かわいそうで見れない、と言う。
そういうところは今も変わっていません。

そんな母が、祖父母の現実に、未来に、恐る恐る、一歩を踏み入れた。
否応なく流れていく年月を感じずにはいられません。

ふく。

少し、ファッションのはなしをしよう。

最近のファッション誌にあるような「何々系」って括りが大嫌い。みんなで型にはまろうぜって言ってるようなもの。服装に限って言うなら、型にはまった中で輝いている人って、ごく少数。
そもそも、「洋」服にしか関心がない時点で、でっかい型にしがみついている。もちろん僕もそう。格好よさや、おしゃれは、そんなところからはなかなか生まれない。

型を意識した上でオリジナリティを出せるひと、たとえばパンツ・スーツにナイキのAir Max'98をばしっと合わせる夏木マリとか、自分の名を冠したエルメスの鞄に大きなステッカーを貼ってさっそうと持ち歩いたジェーン・バーキンとか、そんなひとこそが真のおしゃれだ。
あるいは、自然に適応して生きていくために自然に生まれた衣服。たとえばベトナムのアオザイ、アイヌの防寒着。型とか、おしゃれという概念をとうに越えて、見事な着こなしだと思う。用の美というと少し違うかもしれないけれど、自然の中で生まれてきた衣服と、それを着る人が美しいのは間違いない。

ファッションやおしゃれを楽しむって、もちろん、そんな大袈裟なことじゃない。でも、服好きの端くれとして、考えてみたくもなる。服を愛するってどういうことなんだろう?
ブランド品を買う理由、決して安くはない額を服に費やす理由を、自分は本当に見出しているのか? そんな、自戒の意を込めて。

いもと呼んだ女の子

いも、ってニックネームの女の子を不意に思い出すことがある。

小学6年生の頃、塾で、進学塾ではあったけれどむしろ寺子屋みたいな雰囲気のところで、門弟のみんながそいつのことを大好きだった。みんな、その子のことを、いも、って呼んだ。
じゃがいもみたいな顔にいもの芽みたいな目をした女の子で、いつも明るくて、動作は、いもが転がるような感じだった。がんばって第一志望の私立の女子校に行ったような覚えがある。

いわゆる、恋愛感情、好きな女の子は、僕にはちゃんと他にいた。
5、6年生のとき、小学校のクラスが同じだった、笑顔がかわいくて、よく着ていたきれいな青色のTシャツと、柔軟体操が得意なところが好きだった女の子。

でも、ふと思い出すことがあるのは、いつも、いも。
いもはそんな存在。とっても大切な存在なんだ。