ときど記 後記 -9ページ目

回転ドア、まだ回らない

今日21時から放送されたNHKのドキュメンタリー『安全の死角 ~検証、回転ドア事故』を観ていました。

子供の頭蓋骨は、100kgの力が加わると割れてしまうそうです。
昨年3月に、六本木ヒルズで回転ドアに6歳の男の子が挟まれ死亡する事故がありました。番組によるとその際、回転ドアによって男の子の頭部に加えられた力は、874kgにも及ぶそうです。
何気なく利用していた(最近は、使用禁止になっていますが)回転ドアの力って、すごく大きなものだったんですね。

そうした回転ドアを始めとした、現代の日本に潜む潜在的な危険について、学際的に話し合いや研究調査が進められているそうです。
番組で詳細が紹介されていました。件の回転ドアの事故調査の話し合いの場には、開発者の他、JRや日産自動車の社員、小児科医や法律家の方が参加していました。

確かに、僕たちが日々暮らす中には危険がいっぱいです。そのことにきちんと気を付けて、行動している人はどれだけいるのでしょうか。

回転ドアの類似事故を連想させる、電車や自動車、エレベーターのドア、重いシャッター。
毎時数十キロもの速さの電車が間近を駆け抜ける、駅のホーム。
歩行者優先など考えもしない運転者ばかりの、自動車社会。
あるいは、めいっぱい商品が積み上げられた量販店。地震対策はだいじょうぶかしら?

便利で、早くて、速くて、一件安全そうな多くの設備に潜む「安全の死角」。
六本木ヒルズでの無惨な事故から一年、番組で取り上げられた人体模型を用いた実験や研究を見ながら、改めて、すぐ身の回りにある危険を感じさせずにはいられませんでした。

ところで、とてもいい番組だと思いましたが、BGMがいまひとつ。変におどろおどろしいから、いたずらに恐怖を煽っているように感じました。
事故の反省、調査から今後への提言まで取り込んだこの番組が目指すのは、それを観た皆が「恐怖社会・日本」を自覚することだけでなく、冷静にこの状況に向き合い、改善していくことにあるはずです。
ぐおぉぉぉ...っていう低音がうなるようなBGMは、たとえば僕の母をして「こわい番組ね」と言わせるだけで、事故と調査、今後期待される取り組みの本質から、そして番組そのものから、視聴者の目を逸らしてしまうのではないでしょうか。

たとえば、静かなクラシックギターなんかがいいなと思います。ドキュメンタリーにこそ、気品と落ち着きのある音楽を。

フットボール・アディクト

「試合前に、楽しいサッカーをしたいと言っていましたが、楽しくプレーできましたか」

試合後、それまでテンポよく記者からの質問に答えていた中村 俊輔選手は、そう尋ねられると答えに詰まり、しばらく苦笑いを浮かべてから、次は楽しいサッカーをしたいです、とどうにか一言返しました。

昨日25日に行われた、サッカーワールドカップ、アジア最終予選、日本代表 vs イラン代表。
いちおう日本を応援していた身としては、結果が伴わなかったためにいっそう、試合内容に不満です。
中村選手いわく楽しくないプレーになったというのは、決して結果論ではないはず。テレビで観戦していた僕も、日本代表のプレーに、何かちぐはぐしたものを感じずにはいられませんでした。福西選手の同点ゴールは見事なものでしたが...

その直後に行われた韓国 vs サウジアラビアの試合の方がよっぽど見応えがありました。スピードに乗った攻め合いに、華麗な個人技とチームプレーの応酬。サッカーはこうでなきゃ、と、どちらを応援するでもない僕は、それこそ楽しんで観戦しました。

サッカーは、やっぱり楽しくないといけません。勝ち負けは、僕にとっては、その次の問題です。
巨大なビジネスに組み込まれようが高度な情報戦になろうが、ピッチの上で選手が楽しくプレーできるかできないかが、結局は重要です。楽しくないならサッカーじゃありません。(言い切ってしまった。)

ナイキ・フットボールのCMみたいに、選手自身が楽しめるプレーは、やっても観ても素晴らしいものになります。
ロナウジーニョが昨年のFIFA最優秀選手に選ばれたのも最もです。彼が選ばれたのは、(決して利権にまみれたFIFAの自虐ではなくて、)誰もが認める質の高いプレーとチームの勝利への貢献、そしてサッカーを楽しむ姿勢があるから。
生まれつきかもしれないけれど、あんなに笑顔でプレーするプロ選手はそうそういません。

日本の小野選手もインタビューで、満足できるサッカーができたときは、後で自分のプレーを見たときに笑顔が見える、ということを話していました。
そう、サッカーを楽しもうぜ!

昨日の敗戦も、決して意味の無いものではありません。もしも勝つか引き分けていたら見過ごされていたであろう課題、FWの決定力不足や新システムに素早く適応できないDFの連携不足、カウンター対策、が、改めて浮き彫りになりました。
この課題を次のバーレーン戦に生かして、今度こそ、いい試合をしてほしいと思います。そうすれば、勝利はぴょこぴょこ付いてきます。きっと。

がんばれにっぽん!

たんげさん

昨日、冷たい雨の降る中、東京カテドラルを訪ねました。文京区の真ん中に立つ立派な聖堂を、どうしても一目見たかったからです。
到着したのは17時半頃。もう、聖堂内に入れる時間ではなかったので、大きな聖堂の外観を、間近に寄って見たり、少し遠くから眺めたりするだけでした。それでも、確かに何かを見届けることはできたような気がしました。

今月21日、建築家の丹下 健三氏が亡くなりました。東京カテドラル聖マリア大聖堂を設計されたのが、この、丹下さんです。
あるいは、国立代々木競技場、東京都庁ビル、広島平和祈念公園の設計をされた建築家、と言うほうが、彼の、日本の近代建築史における業績を的確に表すのかもしれません。でも、僕にとって、丹下さんは、一番に、聖マリア大聖堂の建築家さんでした。丹下さんの訃報を聞き、どうしても聖堂に行かなければならない、と思いました。

聖マリア大聖堂は、折り紙のかぶとのような形をしています。白く、にぶく光る大きなかぶと。ダイナミックという形容がぴったりな迫力で、一見しただけでは聖堂とはわかりません。
その中に入ると、外観とは打って変わった荘厳な空間が広がります。うちっぱなしのコンクリートの壁。おおいかぶさるような形状の高い天井。残響が、最大7秒という静かな空間。ぽん、と手を叩くと、その、ぽん、のこだまが7秒も続くという、広い広い空間。

僕は信者ではありませんが、この聖堂に月に一度くらい、通っています。いつも驚きがあり、いつも居心地がいい。
何をするでもなく、木の椅子に座って、透かしの窓から差す日の光をぼーっと眺めていたりする。たいてい、僕以外に人はいません。
あるいは、2ヶ月に一度くらい開かれるパイプオルガンのコンサートを聴きに行きます。広い聖堂に響くパイプオルガンの音色。耳で聴くというより全身で受け止めるような、圧倒的な。すばらしい響きです。

堂内は撮影禁止ですが、時折来る外国からの観光客や、建築を勉強している風の学生がカメラをぱしゃりとやっていても、誰も咎めない。厳かで、どこかのんびりとした空気でもあります。

この大聖堂は僕の心の拠り所です。自分を生んでくれた母に感謝するように、すばらしい空間を生み出した丹下さんを、僕は尊敬しています。
彼は、聖マリア大聖堂を通じて、建築家の仕事がこれほど感動を与えられる仕事だと僕に教えてくれました。

昨日、大聖堂を訪れて、改めて彼が成し遂げたこと、作り上げたものを思いました。彼はやはり偉大でした。

享年91歳。
とっても長生きですよ。丹下さん、どうもありがとうございました。
ご冥福をお祈りします。

就職活動 ことのは

「当社では、学歴や役職の経験よりも受験者の人間性を大事にしたいと思っています」、云々。
企業の採用情報を閲覧していてこうした文章に出くわすと、心底うんざりします。

人間性を量るものさしなんてありません。何らかの基準に従って合否を付ける立場にあるひとが、軽々しく人間性なんて言わないでほしい。

そもそも人間性って何だろう。一時間やそこらの面接でわかるものだとは、ましてやそれに優劣をつけるべきものだとは、僕は思いません。

採用面接自体を否定しているのではありません。でも、面接の場でのただでさえ曖昧な合否基準を、人間性なんてことばでごまかしてほしくないと思うのです。

僕の就職活動はこれからが本番です。

人間性を大事にしたいという感覚は僕にもよくわかります。色々な会社説明会に参加して、結局は、事業内容以上にその会社に勤めるひとや説明会参加者の雰囲気を重視している自分を、発見することがあるからです。
でも、ぱっと見だけではわかりそうでわからない人間性を、主要な判断材料にするのは、危険だということも、十分理解しているつもりです。

ジャンジャン鍋を食べる

僕のガール・フレンドの一番の得意料理は「ジャンジャン鍋」という、キムチ鍋にひと工夫、ふた工夫したような料理で、「心も体もぽっかぽか」というキャッチ・フレーズ(彼女による)が、まさにぴったりの鍋です。

ジャンジャン鍋。
キムチ鍋をベースに、大きめに切ったじゃがいもを入れ、軽く炒めた牛挽き肉を載せる。
それだけ。そして、最後のおじやを忘れては、いけない。

そんなジャンジャン鍋を、2人で食べたり、みんなで集まってわいわい食べたり。
ほくほくのじゃがいもや挽き肉が、鍋の材料としては珍しく、しかもばっちり美味しいので、みんな喜んで、密かにじゃがいもばかり狙って食べたりする。
ジャンジャンじゃがいも、本当に美味しいです。

その名前の由来はよくわからないけれど、分量なんかは多少てきとうで、みんなで楽しんで温まることを一番に考えた鍋に、ジャンジャンって響きはぴったり合います。
最近、ひさしく食べていません。でも、ジャンジャン鍋の得意な彼女と、今日は久しぶりにデートです。

学校がかわる

僕の通う大学の学部再編計画が、着々と(それはもう)進んでいます。
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200503080312.html
僕が現在所属する専修は、新設される学部に組み込まれるようです。卒業後のことなので、僕には直接は関係無いとはいえ、4年間通った学部、専修が別のものに変わってしまうのは、つまり卒業後に無くなってしまうのは、きっと寂しいこと。


ふと思い出したのは、中高6年間お世話になった学食と、図書館です。
僕の出身中高の食堂は、いまはもう無く、跡地には立派な図書館が立っています。

学食は、僕たちの憩いの場でした。
休み時間になると、100円のからあげパックを食べに行き、お昼にはからあげラーメンを食べる。たいして美味しくもなかったのだろうけれど、なぜかモスクのような形をした食堂の雰囲気が、みんな大好きでした。
そして、それは今はもう、ありません。

いっぽう図書館の設置は、僕の在学中から長く要望されてきました。僕が通っていた当時は、中高に併設されている大学の図書館を利用していました。
キャンパスの端から端まで歩かなければいけないから不便だったけれど、普段は見かけない大学生や、(男子校だったので)女性がうろうろしていること自体が嬉しかったし、難しそうな本が並ぶ、書物独特の匂いがぷんぷんする大学図書館は、僕の大好きな場所の一つでした。
そこを利用できることは、ちょっとした特権のように感じられました。

図書館の設置は、ときどき勉学に燃えるあの中学高校の生徒たちにとって、大きな刺激となっているはずです。でも、中高生の身分で大学の図書館を利用できるあのわくわく感をもう味わえない今の生徒たちを考えると、少しかわいそうでもあります。
そして、大好きだったからあげラーメンに、あの学食で出会うことが二度と無いと考えるのは、辛いことです。

ものごとの変化や節目は必ず、一抹の心の痛みを伴います。


大学の学部再編がどのような目的で実施されるのかが、僕にはいまいち見えてきません。
それが寂しさを煽るだけのものになるのなら、だっさい長い学部名に次々と変えていくことに、断固反対。

3月のいろいろ

ライブドア vs フジテレビ、っていう構図に仕立てること自体が、そもそも気に食わないのですが...

一昨日、東京地方裁判所は、ニッポン放送の新株予約券の発行が「著しく不公正」だと判断し、その差し止めの処分決定をしました。テレビ的に言えば「第一ラウンド、ライブドア勝利」。

日本における企業買収・防衛に関連した判例として、とても重要だと思います。でも、どこのテレビ局もこのニュースばかりで、ちょっと食傷ぎみ。
ほとんどの局で延々と「ライブドア勝利」ばかり取り上げている中、唯一、フジの報道番組だけはこのニュースには少し触れるだけで、僕が大好きな『ニュースJAPAN』では、地裁の仮処分決定を報じて解説者が少し喋ると3、4分で潔く次のニュースに移ってしまいました。フジテレビにとっては嬉しくない判決だということでしょうか。
来週にもライブドアとの協議を始める、とも言われていますが、さて。


イスラエル国防省と警察当局は、7月20日からを予定しているガサ自治区・ヨルダン川西岸北部からの軍の全面撤退を、当初発表していた2ヶ月間の半分、約1ヶ月間で終了させると発表。
パレスチナ側国境に設置する分離壁の準備も進んでいるようで、同国を完全に分離する方向ではなしがまとまりつつあります。
自爆テロを止めることはイスラエル、パレスチナ両国にとって望ましいことであるのは間違いないと思いますが、両国の分離壁は、どこかベルリンの壁を僕に連想させて、少しだけ悲しい気持ちにもなります。
目に見える国境が必要な世の中なのですね。


「エシュロン計画」というのが進められている、らしい。世界中の携帯電話、電子メールを傍受するシステムの開発計画。
今も世界のどこかで、精力を傾けている研究者たちがいるのでしょうか。

りんぐ らいと りとる りーど

広い世界はどこかでつながっていて、輪であり、和です。

先進諸国が排出した温室効果ガスの影響と、地球の何億年単位という周期で巡ってきた温暖期が重なれば、島国の一つや二つ、あっさり水没してしまいます。
水没の危機が訪れて初めて、住民4300人の立憲君主国ツヴァルは、日本で注目されました。

友人のブログを読んで、自殺を思いとどまったひとがいるらしい。
広い広いインターネットの世界、どこで誰が何を読むかわかりません。それがいいことに向かえば嬉しいけれど。


広い世界では何が正しいことなのか、見えにくい。

或る人は、支援を続けて欲しいという。
或る人は、悪魔の国の手先だ、帰れという。
或る人は、他国の軍に守ってもらわなきゃいけないなんて、自衛もできないじゃないかと、当然思うことを思って嘲笑する。
イラクでの自衛隊の活動には、賛否たくさんの意見があります。


広い世界は案外狭い。

偶然話した人が、僕が以前住んでいたまちに住み、僕が以前通っていたまちに通っていたりする。

会社見学会で少しだけ話した学生さんと、別の会社説明会でばったり会ったりする。

僕と全く同じスニーカーを履いた人と、まち中ですれ違ったりする。


広い世界をリードしよう。

あなたが書ける文章は、あなたにしか書けない文章なんだよ
とは、作家、小川 洋子さんのことば。

あなたにしかできないなにかは、あなたの身の回りにあふれている。

2月の寄付。

実は、ときど記 後記は、訪問者数(当ページをご覧になった方の人数)やコメント数に応じて僕のポケットマネーから寄付金が発生するシステムになっています。
なっていますというか、アメーバブログでは訪問者数がチェックできるので、それを利用して、資金繰りに困っているNPO等の団体の支援をしようと(いま)思いついたのでした。


先月2月の訪問者数が、のべ561人
一日平均20.0人の方がときど記 後記を訪ねてくださった計算になります。(どうもありがとう。)
ちなみに最高記録は、16日の37人でした。

また、コメントが12件(うち半分は僕。笑)、トラックバックが6件、ありました。(ありがとうございます。)

訪問者数は、1人あたり10円、
コメントおよびトラックバックは1件100円として、
2月分は7410円の寄付をすることにし、今日、郵便局に行ってきました。


寄付先は2つの団体。

PEACE WINDS JAPAN
中東やアフリカを中心に、紛争が続く地域や被災地への人道支援、復興、開発援助を実施しているNPOです。2月22日に発生したイラン地震の復興支援活動等も行っています。4000円を寄付。

PEACE ON
イラク国内の障害者施設に、日本の中古バスをスクールバスとして寄贈する活動を始め、中東での平和活動をしているNPO。3410円を寄付。

特に、先月のイラン地震については、新聞もテレビも発生した当日くらいしか報道せず、とにかく被害の様子がわからない状況で、心配です。マグニチュード6.4、死者160人?と報じられた覚えがあり、小さくはない被害があったはず。
ピースウインズの方々に頑張ってもらおうということで、寄付を決めました。


以下、参考までに。
ピース・ウインズ・ジャパン http://www.peace-winds.org/
ピース・オン http://npopeaceon.org/

ちなみにピース・オンのホームページ上に、僕の写真があります。探してみては。笑。

てん、

ギターレスの少し変わった3人組、というふれこみだったクラムボンが、彼らの音楽にギターを取り入れたとき、それはまさに鬼に金棒。そしてプロツールズの導入で、クラムボンの遊び心は天井知らずになりました。
最新作『てん、』で展開される音の世界は、もはやクラムボン以外の誰も表現できない、原田 郁子嬢のくせのある声と、きびきびとした鍵盤と、めっちゃ気持ちいいドラムスと、電子音の摩訶不思議。

独特の違和感がくせになるのは時間の問題。何度も何度も聴き重ねています。

特にツボなのは2曲目『loop bridge』、10曲目『Sonor』、11曲目『ふたり』。どきどきします。


読点、は文章の一区切り。『てん、』に続く、今後のクラムボンが早くも楽しみです。