パリ、メルティング・ポット
「カトリーナ」後のアメリカにしても、暴動がおさまる気配のないフランスにしても、構成要素は違えど、移民国家であるがゆえに生じる膿みをほったらかしにしていたのが一気に爆発したということなのでしょう。
「カトリーナ」の被害を受けた地域では、人種や肌の色によって受けられる支援が差別されたそうです。
現在進行形のフランス全土での暴動は、アフリカ系の少年たちに対する警察官の執拗な責め立てが少年たちの事故死を引き起こしたとして、アフリカ・アラブ系の人々が暴徒化したものだといいます。
(まだ充分にニュースを見ていないのですが)
僕は、ニューオーリンズにもパリにも直接行って状況を見たわけではないから、実際がどうなのかはわからないけれど、確実に言えるのは、
違う国のひととの接触は、そもそも不安を伴うものだということ。
程度の差こそあれ、誰しもコミュニケーションについて、文化の違いについて、共生について...何かしら不安を抱くはずです。
異国でマイノリティとして暮らす、となればなおさら。
そして、惨事が起こったときの恐怖ははかりしれないものになるはずです。
だから、ほんのちょっとのことが、大いに不安を煽ることになりかねない。
ほんの少しの政府のミスや対応の遅れが、マイノリティの人々の目には重大な過失と映る。
マイノリティの人々の不安が、批難や行動につながり、それが報道されると、その国のマジョリティの人々はマイノリティの国に対していいイメージを抱かなくなるかもしれない。
国際交流には、潜在的に悪循環の可能性があります。
根強い黒人差別を残すアメリカとフランスは、その悪循環の可能性と現状にあまりにも無自覚だったのではないでしょうか。
国名を主語にするのがあまりにも抽象的ならば、両国の政府、メディア、そして両国民としてもいいでしょう。
もちろん全く同じことが他の国についても当てはまり、日本もそうです。
もちろん、対岸の火事ではない。
関東大震災の直後に数え切れないほどの朝鮮の人々が、デマによって殺害された事件。
真相はまだ解明されないままです。
外国人居住者のためのサービスの不備。まちを歩けばいくらでも見つけられるはずです。
あるいは、逆に、根強い欧米コンプレックス。
いつかその反動がくるような気がしてなりません。