また、人身事故 | ときど記 後記

また、人身事故

どうして人身事故は、日本の都心に住むたいていのひとにとって、普通の日常的な出来事でしかないのでしょうか。


猛スピードで走る電車に身を委ね、命を絶つ。非日常の、僕には想像もつかない恐ろしさです。

でも、たいていのひとにとっては、ああ、また電車が遅れるね、くらいの感想しか残さない。



今日、京浜東北線の人身事故に遭遇しました。

僕が乗っていた列車の、1、2本前の列車による事故だったようです。


乗り合わせた乗客の皆さんは、口々に

「どうやって迂回して行こうかなあ」


「遅延証明、もらえるかしら」


「時間かかるなあ」


もちろん誰もが、心の中では、事故で死傷したひとのことを少しは、考えていたのかもしれないけれど、これもほとんどのひとにとって、一人の命よりも、きっとほんの数分数十分の時間のロスの方が、重かった。


それは、とても悲しいことだと思うのです。

亡くなったひとの遺族や、友達は、大切なひとを亡くした悲しみと、責任を背負っていかなければならないのに、大多数はほんのちょっとの迷惑を感じるだけ。



亡くなった方の冥福を祈ります、の一言も、電車の車掌さんが言うことは無い。

迂回の方法とか、電車の遅れの謝罪ばかり。

それは当然だろうし、鉄道会社にとってはいい迷惑としか言いようも無いのかもしれないけれど。


駅の恐ろしさを、考えたことはありますか。


人間にあれだけ近い、目と鼻の先の距離を、時速数十キロの硬い物体が駆けていく。

鉄道の駅が潜在的な危険が在る場所であることを、鉄道会社や、それを利用する僕たちは、どれほど自覚しているのでしょうか。


自覚すべきなのでしょうか。