ロンドンと、バグダッド | ときど記 後記

ロンドンと、バグダッド

ロンドンのテロは、確かに大きな事件で、大勢のひとが亡くなったり、傷ついたりしました。


同じような事件が、自分の身近で起こったら...という恐怖心を、世界中のひとに植えつけたことでしょう。その意味でもこの事件と、その報道には大きな意味があった。



一方で、イラクでも連日、襲撃や「自爆テロ」(この呼称は好きじゃない)が続き、100人ものひとが死傷した爆発事件も起こったといいます。

この事件は、新聞でもテレビでも、ちょろっと報道されただけ。インターネットでなんとか情報をキャッチできるとはいえ。



この違いは、何?



両社の報道時間の差は、異常と言っていいと思います。


こういうはなしはとても不謹慎だけれど、

もしもバグダッドのテロに日本人が巻き込まれていれば、そのニュースは連日報道されたはず。


あるいは、ロンドンでの同時多発テロばかりが、こんなにも懇切丁寧に日本国内で報道されているのは、

それが「ロンドンで起きたから」です。
世界有数の観光都市であり、「日本人も」大勢居住したり旅行したりするまちであり、軍備の上で大事な関係である国であるイギリスで起きたテロだからこそ、こんなにも扱いが大きい。



それは当然といえば当然です。

メディアは、報道は、日本国内に住むひとの安全や安心を少しでも保障し守ることに役立つべきだから、日本人に関係のあるまちの安全に関わる事件は、大きく報じられるべきです。間違いなく。


でも、日本との、日本人とのつながりが薄い国やまちの事件は、よほどショッキングでない限り、大きく取り上げられることは無い。一過性の報道で終わってしまう。

(その「日本とどこかの国のつながり」を強めるのも弱めるのも、多くはメディアの力です。)

また、日本に在住する外国人とその家族の安否は、一切報じられない。そんなことをしているとキリがないから、でしょうか?



ここでまたいつもの疑問にぶつかる。


ひとの命の、事件の、事故の、幸せの、喜びの、悲しみの、価値を決める基準は何? 誰が決めることができる? そもそも価値の違いなんてあるのか?


僕はまだ答えを出せずにいます。