比較のような そうでないような ― ロンドンのテロ事件
元気になりそうな名前だなあ、と、ルクセンブルグのユンケル首相のスピーチを見ながら思ったのでした。
7月10日、ルクセンブルグのユーロ憲法批准、国民投票で可決。
「テロに屈せず戦おうとするイギリス政府の姿勢に感動した。我々もテロ撲滅に向けて、最大限の協力をしたい」
的なことを英語でスピーチしたのは、我らがジョージ・ブッシュ、アメリカ大統領。
相変わらず彼には、同盟国を支持するポーズを見せ、気に喰わない奴らをぶっつぶすという発想しかないのね。
と、残念に思って、ユンケル首相にもらった元気を少し失う。
ブッシュの何が気に喰わないのだろう、と考えてみると、例えば今回のロンドンの同時多発テロに際して、彼の気持ちが、被害者やその家族を悼むことよりも、明らかにテロ集団を叩くことに注がれていることにあるのだとわかりました。
一国の大統領として、そして世界を牽引するリーダーとして、事後の対応に尽力するのは当然。テロ撲滅は必要でしょう。
でもその背景にあるのが、人間への哀れみや慈しみの心ではなくて、特定の人間を憎むような気持ちなのだとしたら、それはとても悲しいことだし、間違いなく次の惨事へとつながっていく。
たとえば、今回の事件が本当にアルカイダ系の組織に依るものだとしたら、今回のテロの犯人グル-プやそのボスを潰すだけでは、少しも本当の解決にならないのは明らかです。
中東の国々の関係、各国の一般市民の生活が安定しないのは、何が原因なのか? そこを解決しないと、同じことが延々と繰り返されていくだけです。
アメリカは、というかアメリカ政府に同調するひとたちは、その悲劇の応酬が嬉しいのかもしれない。戦争が好きなのかもしれない。
それが嫌なら、まずは反対するということ。
そして、無視されてしまったひとたちを助けるということ。
必要なこと、いっぱいあります。
テロ事件でなくなられた方々のご冥福をお祈りします。
そして、被害を受けたひとたちが、一刻も早く平和な暮らしを取り戻せますように。